2004年4月28日(3日目)
●コスタノーヴァ ●アヴェイロ ●コインブラ
えらくお気に入りになってしまったポルトの街を泣く泣く離れ、3日間ポルトガルを観光しながら南下してリスボンへ向かう、バスの旅が始まった。
ポルトガル人の車の運転は荒い。
ヨーロッパには、「イタリア人より運転の荒いスペイン人、スペイン人より運転の荒いポルトガル人」という言葉があるらしい。
今回の旅の間ずっと一緒だったバスの運転手パウロ氏の運転も、私びびんばは特に感じなかったが、相方のぱんだには少々乱暴に感じられたようで、車酔い対策で、バスではほとんど寝ていた…。
この日はコインブラ観光がメイン。
夜は、ポルトガル国営ホテル「ポゥザーダ」に泊まる。
先ずは別荘地、コスタノーヴァへと向かった。
別荘地というよりは漁港といったイメージのコスタノーヴァは、ストライプのカラフルな家が立ち並ぶ、かわいらしい町だった。
すぐ目の前が海で、リゾート感もなくはない。
この日からライセンスガイドとして我々に合流したアマリアさんが、この辺りの別
荘はいくらぐらいするのかを近くの店で聞いてきてくれたが、日本円で3000万円位
と、けっこうする。
日本で家買えるやん!
(でもご一緒していたツアーのみなさんなら簡単に買えそう…。)
コスタノーヴァから、運河の街アヴェイロへ。
アヴェイロでは、アズレージョ(ポルトガル独自の装飾タイル。イスラム文化の名残りらしい)のきれいなアヴェイロ駅を見てから、トイレ休憩を兼ねて地元のパステラリーアへ。
ここでアヴェイロ銘菓「オボシュ・モレイシュ」を食べる。
卵黄と砂糖をねった餡を、薄くてぱりっとした白い皮で包んだお菓子だ。
しかしこれが激甘で、とてもお土産に買って帰る気にはならなかった。
ポルトガル、ごはんは旨いがお菓子は甘いぞ!
ビッカ(エスプレッソのこと。ポルトなど北の方ではシンバリーノというらしい)がなければ食べれなかったかも。
アヴェイロ銘菓オボシュ・モレイシュ
アヴェイロの街は、運河にモリセイロが浮かぶ、きれいな街だった(路上駐車は相変わらず…)。
さて、いよいよコインブラ大学が有名なコインブラへ。
しかし、街から街までの高速道路から見える風景は、ひたすらぶどう畑とオレンジの屋根の小さな家ばかりだ。
一度は行ってみたいと思っていたヨーロッパの田舎の風景と、ポルトガルで出会うことができた。
コインブラでは、先ず、コインブラの街が一望できる新サンタ・クララ修道院を見学。
隣には軍事博物館もあったがそちらは見ず。
それから、街中にあるホテル・アストリアのレストランで昼食。
添乗員Iさんいはく、「とってもおいしい」仔豚の丸焼き。
皮がぱりっとしていて中身はジューシーで、ほんとに美味しかった。
おかわりできなくて残念。
「とってもおいしい」仔豚の丸焼き
食後、ポルタジェン広場から入ったフェレイラ・ボルゲス通
りを歩いてみる。
大学の街ということは、この辺りは大学通りみたいなものやろか。 長瀬の近大通
りとはえらい違いやな。
そんなことを話しながらうろうろする(ローカルすぎるネタですいません)。
コインブラ大学は、コインブラの街よりも高い、丘の上に建っているため、行きはバスで上まで登った。
コインブラ大学はポルトガル最古の大学で、13世紀にディニス王によって創設されたリスボン大学が、コインブラとリスボン間の移設を何度か繰り替えした後、16世紀にジョアン3世によって正式にコインブラに置かれた(ガイドブック情報…)。
コインブラ大学の男子学生は、式典などで黒いマントを着る(この黒マントのことを「カッパ」と呼ぶとか呼ばないとか…。知っている人あったら教えて下さい)。
女子学生は、あこがれの男子学生のマントの裾を噛みちぎるそうだ。
だから、女性にモテる男子学生のマントは、裾がボロボロ。
日本の学生服の第2ボタンみたいなものか。
ちなみに、コインブラファドのファディスタは、この黒マントが衣装だ。
2日目に見学したポルトワイン工場のメーカー、「サンデマン」のマークも、この黒マントだった。
この日何かの催しがあったのか、運良く黒マントの学生たちをたくさん見ることができた。
大学構内の奥に、16世紀から今なお使われている旧校舎がある。
「鉄の門」(またの名を「無情の門」。大学に入ると、無情な厳しい講議が待っていることからこの名がついたとか)をくぐると、広場の中央にジョアン3世の像が立っている。
有名な図書館はいちばん奥だ。
図書館の見学は予約制でチケットが必要なのだが、私たちは天下のツアー客である。
全て添乗員さんとガイドさんがやってくれる。
(何もかもおまかせのパックツアーって、びびんばもぱんだもこれが初めてだったので、戸惑うことも多かったが、何て楽チンなんだろうと思ったのも事実。)
図書館の館内はうす暗く、少々カビ臭かった。
火事にならない様、もともと照明(ランプ)はないらしい。
高い天井まである金箔の貼られた本棚が立派だった。
私たちは見ることができなかったが、防虫対策として、館内にはコウモリが放されていたらしい。
なんて原始的な…。
でも、そんなところがヨーロッパらしいのかも。
そうそう、日本語で「ペコちゃん」と書かれた不二屋のペコちゃんのTシャツを得意げに着て闊歩する女子学生を発見!
変なTシャツ好きのびびんばとしても、マンウォッチャーのぱんだとしても、印象的な出来事でした。
コインブラ大学の見学もひと通り終わり、帰りは街まで歩いておりた。
坂道、階段、石畳。
中高年の多いツアーなので、歩くのもスローペース。
決して前日に2人でポルトの歴史地区を歩いたようにさくさくとは歩かない。
途中、3世紀頃の古代ローマ時代の遺跡の発掘現場の横を通
りかかった。
3世紀!
また、ペドロ1世とイネスの悲恋の物語の舞台として有名な旧カテドラルの横も歩いた。
ペドロ1世とイネスの悲恋の物語とは…。
街に戻ったところでしばらく自由行動となったので、土産物屋を冷やかしたり、古い街並をうろうろして楽しむ。
狭い路地や、コメルシオ広場など、歩いているだけで楽しい。
ポルトでもよく見かけたのだが、ポルトガルの土産物屋に必ずあるのが、雄鶏の置き物、アズレージョの鍋敷きや置き物、
そしてアルファベットのアズレージョだ。
「このアルファベットのアズレージョを買って、家の表札にしよう。」とはぱんだの意見だったのだが、「えーっ、別
にいらんやろう。」という私の一声で却下となった。
しかし、今から考えると、その案もよかったなあ、しまったなあと思う。
(帰国後そのことをぱんだに言うと、「ほれ見てみい!」と言われた…。)
次回ポルトガルに行った際は、かならず買って帰ることにしよう。
なぜ雄鶏の置き物が必ずあるのかと言うと、ポルトガルには『バルセロスの雄鶏』という有名な物語があるからです…。
これ以降、雄鶏は奇跡の象徴として、また幸福のシンボルとして、ポルトガル人に愛されているらしいです…。
信仰厚い人間は救われるといったところだろうか。
私びびんばは無宗教なのでイマイチ理解しがたい感覚ではあるが、「ファティマの奇跡」と言い、ポルトガル人はこの手の物語が好きなようだ…。
大学通りの(?)フェレイラ・ボルゲス通りではレコ屋を発見。
早速のぞいてみたが、値段は日本のレコ屋とあまり変わらないか少し高いぐらい、品揃えも日本と変わらずなので、何も買わなかった。
また、ぱんだは本屋でポルトガル料理の本を探していたが、見つからなかったようだ。
(たとえ見つかったとしても、ポルトガル語の読めないぱんだにとってどれだけの役に立つものなのか、びびんばからは判然としない…。)
そんなこんなでコインブラを後にし、コンデイシャア・ノヴァのポゥザーダへと向かった。
途中、バスの窓から見えた"Clinton Go Home!"と書かれた壁の落書きが印象的だった(クリントンもコインブラに来たのだろうか…?)。
「ポゥザーダ」はポルトガルの国営ホテルのことで、城や修道院、要塞などの歴史的建造物を改装した「ヒストリカル・ポゥザーダ」と、歴史的に重要な土地や景観の優れた土地に新しく建てられた「リージョナル・ポゥザーダ」の2種類に分けられる。
我々の泊まったコンデイシャア・ノヴァのポゥザーダは、「リージョナル・ポゥザーダ」だ。
建物自体はまだ新しかったが、重厚でリゾート感のあるホテルだった。
広い庭に、プール付き(ただし改装中)。
チェックインの間、エレベーターの両脇にあった椅子にぱんだと2人で座ってたら、運転手のパウロ氏に、「Prince
and Princess!?」とからかわれてしまった…。
このポゥザーダでいちばん楽しみだったのは、おいしいと有名だった「Arroz
de Pato(アローシュ・デ・パト=鴨ごはん)」だ。
添乗員のIさんもしきりに「おいしいですよ〜。」と言っていたので、期待もふくらむってものだ!
その鴨ごはん、少し味は濃かったものの、とても美味しかった。
生ハムの固まりも入っており、ボリューム満点。
ウェイターはなぜか私にだけ「More?」と聞いてくるので、「もあ!もあ!」と調子に乗っておかわリし、食べ過ぎた。
若い男は私しかいなかったからか、この日以降も、レストランでは私にばかりおかわりを聞きに来た…。
「とってもおいしい」鴨ごはん
食後部屋に戻り、2人で、2日目にポルトのサン・ベント駅(すごく立派なアズレージョの駅だった。写
真撮りそこねたのが残念!)で買った絵はがきを書いた。
(書いただけで、この日には投函できなかった…。)
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