2004年4月29日(4日目)
●トマール ●ファティマ ●バターリャ ●ナザレ
この日は、午前中にトマールのキリスト教修道院を見学し、午後からはファティマと、バターリャの勝利のサンタ・マリア修道院の見学。
夜は漁村のようなビーチリゾート(?)ナザレに泊、というコース。
トマールは「タブレイロスの祭り」と「トマールに泊まーる」というダジャレで有名な町である。
ダジャレの方は置いといて、「タブレイロスの祭り」とは、4年に1回、7月に行われる祭りで、お盆(タブレイロ)
の上にパンや花、剣などを数メートルの高さにまで積み上げ、それを頭の上に乗せた白装束の女性達が町をパレードするというものだ。
ポルトガルで最も華やかな祭りといわれているらしい。
次回の開催は2007年とのことで、一度見てみたいとは思っているが、はたしてそんな機会はあるだろうか…。
そのトマールの町でおそらく一番の観光名所となっているのが、キリスト教修道院だろう。
12世紀、レコンキスタ(注1)でイスラム勢力からトマールの地を奪還したテンプル騎士団が、その功績をたたえられこの地を与えられた。
そのテンプル騎士団が建てたのがこのキリスト教修道院で、12世紀より建築が始まり、完成したのは17世紀だそうだ。
この修道院は世界遺産に指定されている。
(注1)「レコンキスタ」
西暦711年に西ゴート王国を滅ぼし、イベリア半島の支配を開始したイスラム教徒たちを追ん出すために、キリスト教徒たちがおっ始めた戦争のこと。
「国土回復運動」などと訳されることも多いが、キリスト教徒によるイベリア半島の「再征服」のこと。
西暦718年に始まったレコンキスタは、ポルトガルでは西暦1249年まで続いた。
500年以上も戦争を続けることができる原動力は、やはり宗教的盲目の力だろうか…。
ちなみに、隣国カスティーリャ(スペイン)がレコンキスタを終了させたのはポルトガルよりさらに250年近く後の、1492年のことだったそうだ…。
修道院の中はライセンスガイドのアマリアさんと添乗員のIさんの先導で見て回ったのだが、アマリアさんも順路をまちがうほど、複雑なつくりをしている。
敵からの襲来にそなえ、わざと複雑にしているのだろうか、と勝手に考えた。
装飾などが非常に細かくつくられており、感心する。
何気ないところに立派なアズレージョが残ってたりする。
我々日本人って、石で出来た古い建造物って馴染みがうすいと思うんだけれど、見なれないものだからか、やたらと何見ても「へえ〜〜〜。」って感じだった。
やっぱりヨーロッパは石の建物の歴史なんだなあ…と。
個人的にも、テンプル騎士団には少し興味があったので、この修道院では大いに楽しむことが出来た。
自分へのお土産にロザリオを買いかけた程だ(買ってもすぐ邪魔になるのがわかってたので買わなかったけど)。
昼食は、トマールのホテル・ドス・テンプラリオスにて。
メルルーサのポテト添えなどが出てきた。
我々の座ったテーブルで、ウェイトレスがデザートのフルーツを2回もひっくり返すハプニングもあったが…。

メルルーサのポテト添え
食事の時はいつもそうなんやけど、レストランでは水と、ワインやビールなどの値段がほとんど変わらない。
水が高いのか酒が安いのかわからんけど、とにかくいつもそうなので、ついついワインかビールを頼んでしまう。
おかげで旅行中は、食事の度に呑む習慣がついてしまった…。
(帰国後体重を計ったら3kgも増えていた。絶対毎食呑んでたからだ。)
このホテル・ドス・テンプラリオスのロビーには、先述した「タブレイロスの祭り」で頭に乗せるお盆が展示されていた。
予想以上に大きなもので、こんなものを頭の上に乗せて歩くことができるのかと思う。
午後からは、「ファティマの奇跡」(注2)で有名なキリスト教の聖地ファティマへと向かった。
(注2)「ファティマの奇跡」
第一次世界大戦中の1917年5月13日、ルシア、フランシスコ、ジャシャンタという3人の子どもが羊番をしておりましたところ、なんと目の前に聖母マリアが現れ、彼らにこう告げたのです。
「よいか、これより5ヵ月のあいだ、毎月13日にこの場で平和を祈るのでおじゃる。」
(「おじゃる」って言ったかどうかでは定かではない…。)
この噂は各地に広がり、毎月13日になると、この地にキリスト教信者が集まるようになりました。
その数は毎月増え続け、お告げによる最終日に当たる10月13日には、その数は7万人を超えたそうです。
その日、3人の子ども達が祈りを始めると、聖母マリアが現れ、今度はこう告げました。
「この地に礼拝堂を建てるのでおじゃる。」
(「おじゃる」って言ったかどうかでは定かではない…。)
また、3人の子ども達に対して3つの予言を残し、聖母マリアは去っていったそうです。
そうしてこの地ファティマにはバジリカが建てられ、キリスト教の聖地としてローマ教会に正式に認められましたとさ。
ちなみに子ども達に残された3つの予言のうち、ひとつめは「フランシスコとジャシャンタの2人はもうすぐ死ぬ
であろう」という内容で、2人とも本当にその予言通り、幼くして死んでしまいました。
ふたつめは、「第一次世界大戦の終戦」で、これもその通りとなりました。
みっつめの予言は、決して口外してはならないとされており、2004年現在、なお存命のルシアのみ知るそうです…。
(うろ覚えで書いているので史実と相違があったとしてもご容赦ください。)
個人的には、特に何の感慨もなかったが、キリスト教がポルトガル人の生活に根付いているということを感じることは出来た。
ここファティマは、世界中から巡礼者が集まる聖地で、私たちが行った日も、数人の信者がひざをついてゆっくりとバジリカの方へ進む独特の歩き方で祈りをささげていた。
大きな集会(って言うの?)の日になると、あの大広場が信者でうめつくされるらしい。
続いては、バターリャの勝利のサンタ・マリア修道院を見学。
この修道院も世界遺産である。
入口の天井が素晴らしかったのと(歴代のポルトガル国王とかの像が彫られてるのかな?知識不足、スミマセン…)、ステンドグラス、それから広い回廊と庭園が良かったが、やはり見どころは「未完の礼拝堂」だろう。
何故「未完の礼拝堂」と呼ばれているかと言うと、屋根が完成せずに放ったらかされているのだ。
設計上のミスで途中で工事が中断されたためとも、他の工事(リスボンのジェロニモス修道院?)が忙しくて途中で放っぽり出されたためとも言われている。
永年風雨にさらされているため、内部はだいぶ痛んでいるようだった。
またまたバスで移動し、この日泊まる港町、ナザレへ。
まずは、シティオ地区という高台になっている場所からナザレの海岸を見ることができた。
なんか、素朴な漁村と言う感じ。
しかし、夏になると海岸は海水浴客でいっぱいになるという。
もともとポルトガル人は海が大好きで、夏になると日がな一日浜辺でごろごろするそうだ。
たいがいの企業は8月の1ヵ月間まるまる夏休みで、その間みんな家族で海に出かけるという。
うらやましい。実にうらやましい。全くもってうらやましい。
日本の会社もこんな風にならないかしら…。
ところで、私たちがポルトガル旅行を決めた直後の今年の1月頃、某『世界ウル○ン滞在記』というTV番組で、高橋克実さん(おもしろい髪型のひと)がポルトに行き、「カタプラーナ」という鍋を紹介していた。
カタプラーナは銅製で、中華鍋を2つ重ねたような形をしている。
留め金で貝のように開閉できる仕組みになっており、密閉できるため熱が均等に伝わるというスグレモノのようだ。
それを見て、「ポルトガルに行ったら是非この鍋を買って帰ろう!」、「自宅とそれぞれの実家と、3つは要るなあ!」と話していた。
カタプラーナの購入は、今回のポルトガル旅行で達成したい目的のひとつだったのだ。
『ウル○ン』がポルトだったのでポルトの町に売ってるだろうと簡単に考えていたが、1日目、2日目と、全く見かけなかった。
3日目、コインブラの大学通りでも探したのだが、見つからなかった。
ポルトガルならどこにでも売ってると(勝手に)思ってたのに…。
3日目の晩、ポゥザーダで添乗員のIさんに相談したところ、「最近そういう方多いんですよ。『ウル○ン』ですか?」とのこと。
やっぱり多いんや(笑)。おそるべしTVの力。
そのときIさんから、「もしかするとナザレのホテルの前にある市場にあるかも知れません。」という情報が!
この「ナザレのホテルの前」が最大にして最後のチャンスと考え、 ホテルに着いたらすぐにカタプラーナを探しに行くつもりにしていた。
さて、バスはナザレのプライア地区にある「ホテル・プライヤ」の前へ。
そのとき、ぱんだがふいに「ああ〜〜〜っっっ!!!」っと絶叫!
その声はバス中にひびき渡った。
何事かと思ったら、続いて「あった〜っ!」の声。
そう、ホテルの目の前の、地元の金物屋さんみたいな店の軒先に、 TVで見たのと同じようなカタプラーナが並んでいる!
バスが止まるとすぐさま2人そろって飛び出し、他のツアーの皆さんがホテルにチェックインしてるのも気にせず、その金物屋さんへダッシュ!
見ると、カタプラーナには大・中・小と3種類の大きさがあった。
小だと小さそうなので、中を買うことにした。
店のおっちゃんにカタプラーナを指さしたら「Um?(ひとつ?)」と聞かれたので、「と、とれしゅ。」と3本指を出したら、一瞬「えっ?」って顔をしてから店の奥の棚から3箱降ろしてくれた。
アジアの若い観光客が旅行先で鍋を3つも買うなんて、きっと変に思ったことだろう。
いや、もしかしたら、他にも日本人観光客が買って行ったことがあったのかも知れない。
そう言えば道路沿いのやけに目立つ場所に置いてあったな、カタプラーナ…。
無事、この旅最大の目的を果たすことができ(いつからカタプラーナがこの旅最大の目的になったんや…?)、安堵してホテルへ。
同じのツアーの皆さんからは、「何それ?」「何買ったの?」「持って帰るの大変やねえ。」などと注目を浴びた(笑)。

これがナザレで買ったカタプラーナ(帰国後自宅にて)
前の日の晩に書いた絵はがきを投函したかったのだが、ホテル・プライヤのフロントでは扱ってくれなくて、フロントで切手を売っている店を聞いて買いに行ったのだが、結局買えなかった。
よって、この日もはがきは出せず。
夕食は、これまたおいしいと評判を聞いていた、イワシの炭火焼き。
イワシの前にアサリのワイン蒸しが出てきて、これも旨かった。
やはり漁港だけあって、海のものが旨いらしい。
しかも素材の旨味にこだわっているのか、料理法はごくごくシンプル。
次に出てきた待望のイワシの炭火焼きもそんな感じだった。
魚自体が新鮮なんやろうな。非常に美味しいイワシでした。
レストランはイワシにつけるためオリーブオイルを用意してくれていたが、I
さんが日本から持ち込んだおろしポン酢のほうがおいしかった。
やはりここでも俺におかわりを聞きに来てくれたが、「イワシ、モウイッピキ?」と日本語だった(無論、おかわりしました)。
おかわりを食べていると、いつの間にかレストランからも日本の醤油が用意されていた…。
(おそらく日本人客が置いて行ったであろう、キッコーマンのミニボトル…。)

イワシの炭火焼き(ほんまに旨かった…)
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