2004年4月30日(5日目)
●アルコバサ ●オビドス ●リシュボア(リスボン)
いよいよ、首都、リスボンに入る日が来ました。
その前に、アルコバサのサンタマリア修道院とオビドスの街に寄り道(?)です。
アルコバサのサンタマリア修道院は、これまった世界遺産に指定されている。
ここには、3日目のところで書いた、ペドロ1世とイネスの棺が納められている。
彼らの棺は、互いの足の裏を合わせるような方向で並べられているが、これは、「最期の審判」で彼らが蘇った時、起き上がって目をあけて最初にお互いの顔を見ることができるように、とのことらしい。
イネスの石棺を支えている人間の顔を持った妖怪のようなものは、イネスを殺した暗殺者たちだそうだ。
イネス殺害の罪を、未来永劫、棺を支えることで償わされているのだ。
彼らの棺にはどちらも非常に細かな彫刻が施されているが、一部が欠けた状態になっている。
これは、ナポレオン軍がポルトガルを侵略した時に、その一部を持ち去ってしまった跡であるらしい。ポルトガルは他国の侵略を繰り返した国であるが、歴史上、侵略を受けることもしばしばだった。
そんなことよりも、相方のぱんだは、修道院の厨房にある、牛が7頭もいちどに焼くことができるオーブンやら、豚の丸焼き用の巨大な鉄串やら、プールのような超巨大ないけすやらに興味があるようだった。
中でもおもしろかったのは、修道院も歴史を重ねるにつれて規律もゆるくなり、暴飲暴食に明け暮れる修道僧も少なくなかったとか。そんな修道僧をチェックするために壁にあけられた縦長の穴。この穴をくぐり抜けることができなかった修道僧は、1週間の断食を命じられたのだそうだ。
しかしこの穴、どうひいきめに見ても、たいっていの人間なら通り抜けることができるぞ…。
よっぽどみんな太ってたのか…。
そういえば、ポルトガルの女性はたいがい恰幅がよろしかったなあ。
(逆に男性はひょろっと細いひとが多かった気がする…。)
連日、教会やら修道院やらばかり見ているので、この辺りですでに訳が分からなくなってきている…。
続いて、城壁に囲まれた中世の城塞都市、オビドスへ。
イスラム支配の時代に作られたという城壁は、南北にオビドスの街を囲んでおり、歩いて一周できるらしい。
ポルタ・ダ・ヴィラという城門から中に入ると、壁から天井にかけてアズレージョがある。
そこは小教会でもある。
その下ではおばあさんが座って何やら編み物をしているが、見ていると、どうやら観光客相手の土産を作っているようだった。
オビドスの街は、白い壁の家が並ぶ、とてもかわいらしい街だった。
土産物屋が並んでいるので、一瞬、京都太秦映画村のような(関東なら日光江戸村ですか?)観光用の街かと思いきや、みんなフツーにそこで暮らしている、本物の古い街だった。
メインストリートと思われる、それでも細い道を歩いて行くと、工事中の広い広場のような場所に出た。
城壁の上に登れそうな、朽ちかけた石造りの階段があったので、登ってみた。
城壁の上は、幅1メートルほどと、狭い。
しかも風がきつい。
落ちたら確実に死んでたと思う。
しかし、田舎好きの私びびんばにとっては、そこから見た景色は、本当に最高だった。
ナザレといいオビドスといい、ポルトガルは田舎好きの俺の心をわしづかみにする。
昼食は、オビドスの城壁の外にあるホテル、ジョゼファ・デ・オビドスのレストランにて。
半地下になっていて妙に薄暗く、なかなか雰囲気のあるレストランだった。
ポルトガルの国民食、バカリャウ(干し鱈)を使ったコロッケや、豚肉とあさりをトマトソースで(?)炒めたものを食べた。
これまた美味しかった!
やはりここでも、レストランのウェイターは俺にお代わりをすすめてきた(当然、いただきました)。
パスティス・デ・バカリャウ
(干し鱈のコロッケ)
カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ
(アレンテージョ風豚とアサリの炒めもの)
オビドスから例のごとくパウロ氏のバスにゆられ(そんなのんびりしたものじゃないか。バスは高速を猛スピードで他の車を蹴散らしながら走る…)、いよいよリスボンへ。
リスボンの第一印象。
うわー、都会!
ポルト以降、数日間は田舎の風景ばかりがこれでもかこれでもかと続いたため、リスボンは非常に都会に感じる。
アスファルトで鋪装された道路、行き交う車、ひとの群れ…。
リスボン観光、まずはベレン地区から。
ここで、日本人ガイドのNさんが合流した。
ポルトガル在住の方だろうか。
非常に、なんというか、見た目はマダムって感じ(失礼?)。
ジェロニモス修道院は19世紀に完成した建物で、いままで見てきた中では比較的新しい。
そのせいか、感動も薄く、建物自体にはこれといって感慨はなかった。
ヴァスコ・ダ・ガマやルイス・デ・カモンエスの棺を見ることが出来たくらいかな。
あ、騎馬警官のパレードも見ることが出来たな。
ガイドのNさんは、何かの式典のための演習だと言っていたけど。
ベレンの塔は外から見ただけ。
このベレンの塔とジェロニモス修道院を合わせて、一つの世界遺産として登録されたらしい。
ベレンの塔って実は水牢だったんだってさー。
ポルトガルと言えば、よく写真に使われる、発見のモニュメントも見た。
しかしこの日、リスボンは風が強くて(あ、海沿いやからかな?)、寒いくらいだった。
ポルトから南下するにつれて、だんだん逆に寒くなっていったような気がする。
そのため、ばたばたと観光を済まされた気がする。
ちょっと勿体無かったかなあ。
リスボン観光、続いてはリスボンの(多分)中心地、バイシャ地区(旧市街)。
この辺りは、1755年のリスボン大震災で壊滅的打撃を受けた後、区画整理され、再建された街なのだそうだ。
その再建事業を行なったのが、当時独裁政権を敷いていたポンバル侯爵で、バイシャ地区より北の「新市街」と呼ばれる地区には、その功績をたたえ、ポンバル侯爵の像の立つポンバル侯爵広場が作られている。
バイシャ地区は、金細工や時計、宝石などの店が軒を列ねる。
貧乏人のわれわれびびぱんには関係のない店だ。
しかし同じツアーの皆さんはなんだかんだと買ってはったなあ。
我々はエスプレッソカップのセットをお土産に買ったくらい。
有名な、サンタ・ジュスタのエレベーターもこのバイシャ地区だ。
このエレベーターは、フランスのエッフェルが設計したというのが定説だったらしいのだが、最近は実は違うのではないかといった説もあるらしい。
ポルトのドウロ川にはエッフェルの設計した橋があったが、エッフェルはポルトガルと何か特別
な関係でもあったのだろうか。
勉強不足で、よく知りません…。
しかし、エレベーターが交通手段になってるって、おもしろいなあ。
丘の上に登るためのものなんやけど、我々が行った時は丁度丘の上が工事中で登ってもあまり意味がなかったらしく、エレベーターに乗ってるのもエレベーターの切符売り場に並んでるのも、おそらく観光客ばかりだった。
我々は乗りすらしなかったけど。
乗っとけばよかったかなあ。ちょっと後悔?
でも、乗客が満員になるまでエレベーターが動かないって聞いたもんやから、時間を気にして乗れなかったのよ。
リスボン観光、続いてはアルファマ地区へ。
このあたりは比較的華やかだったバイシャ地区に比べると、下町って感じがする。
アルファマ地区のあたりは岩盤が非常に頑丈で、リスボン大震災の被害がほとんどなかったらしい。
おかげで、 震災前の街がほぼそっくり残っている。
アルファマは、震災前のリスボンの趣きを残す街と言えるだろう。
ポルトの歴史地区といいリスボンのアルファマ地区といい、我々びびぱんは古い街並が大好き。
だから、リスボンでお気に入りになった街といえば、このアルファマ地区だ。
ツアーなのであまり自由にうろうろもできなかったけど(と言いつつ、散策の時間を取ってくれた添乗員のIさんには感謝!)、アルファマは1日ゆっくり歩き回りたい街だ。
まあ、それは次の機会に…。(あるのか?)
アルファマの土産物屋で、ナザレで買ったカタプラーナを発見した。
が、ナザレの金物屋と比べ、倍ほど高い。
観光客相手にアコギな商売してやがるぜ、と思いながらも、「よかったあ〜、ナザレで買えて。」とついつい口にしてしまった。
リスボンで泊まるホテルは、「ティボリ・リシュボア」。
☆☆☆☆☆の高級ホテルだ。
この旅でいちばん高そうなホテル。
個人でなら100パーセント泊まることはなかっただろう。
さすが、熟年向けの値段設定も高めのツアーだ。
申し込んだ時は、ポルトガルが若年層にはあまりポピュラーではない=熟年層には大人気、なんなこと全く知らなかったけど。
我々と同じように、我々の同世代の大多数もポルトガルに行きたがると、勝手に思い込んでたぜ。
ていうか、お金が有り余って海外旅行に行きまくる人たちという存在自体、我々は知らんどったもんなあ。
そんな人種がいるなんて、貧乏人な我々には想像もつかなかった世界だ。
いやあ、世の中は広い。
ホテルで一服し、夕食は再び外へ。
パウロ氏のバスで向かった先は、さっきまでうろうろしていたアルファマ地区。
すっかり暗くなり、さきほどとはまた違った趣きがある。
こういうのを異国情緒っていうのだろうか?
目的のレストランは、アルファマ地区の、2度と行けなさそうな、路地を奥へ入ったような場所にあった。
いかにも地元人が食べに来るようなレストラン。
でも、他のツアーのグループもいてはったから、旅行会社と提携した店だったりしたのだろうか。
そんな風に見えないところが、またポルトガルらしい。
この日の晩のメニューは、例のごとく、とってもおいしいと前評判を聞いていた、アローシュ・ド・マリスコスこと海鮮おじやである。
具は、かにやら海老やらがぶつ切りになって、どこどことぶちこまれている。
海の幸の非常にええだしが出ており、とってもおいしかった。
これまた例のごとく、おかわりもきっちりと頂戴いたしました…。
満腹!
アローシュ・ド・マリスコス(海鮮おじや)
写真を見ると、この日の晩はどうやら赤ワインをいただいたらしい。
他のテーブルでは、マデイラワインやらマテウスのロゼなどをオーダーされていたようだ。
帰国後知ったんだけど、マテウスのロゼって、ポルトガルのひとたちは、観光客向けのまずいワインっていうあつかいで、ばかにしてほとんど飲まないんだって。
どうりでほとんど見かけなかったもんなあ。
あるのはヴィーニョヴェルデばっかり。
まあ、俺らはそれでいいんだけど。
レストランから出ると、近所のファド・レストランから、かすかにファドが聴こえた。
表にはその日歌うファディスタ達の写真が貼ってあった。
ホテルまでまたパウロ氏のバスで帰ってんけど、ホテルのあるリベルダーデ大通
りまでやたらと時間がかかった。
ひどい交通渋滞で、パトカーも出ているようだ。
道はいっこうに進まない。
いったい何があるのかと思ってると、しばらくして、クラシックカーが走り回っているのが見えてきた。
何のイベントか分からないが、クラシックカーがリベルダーデ大通りを中心に何十台も集結している。
パトカーも、このイベントのために道路を封鎖しているようだった。
暗いし、小雨もぱらついてきていたのでゆっくり見物することができなかったが、おもしろいものを見ることが出来た。
大人の遊びって感じがした。
写真はマトモに撮れていないので、なし。
残念。
ホテルのフロントで、日本に送る絵はがきを投函してもらった。
ポルトのサン・ベント駅で買い、コインブラ近郊のコンデイシャア・ノヴァのポゥザーダで書いた絵はがきを、この日、ようやく投函することが出来た。
長かった…。
(案の定、我々は、はがきより先に帰国した…。)
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