2004年5月2日(7日目)
シントラ ●ケルース ●リシュボア(リスボン)

我々びびぱんのポルトガル旅行もいよいよ7日目となりました。
明日にはポルトガルを発ち、帰国の途につきます(泣)。

この日もリスボンを起点に、バスでの移動となります。
先ず、ユーラシア大陸の最西端として有名なロカ岬へと向かいました。

リスボンからは案外近いみたいで、観光バスも次々とやってきていました。
なぜかイージーライダーみたいなおやじの集団もおりました。
この日は天気がよく、海からの風が少々冷たかったものの、非常に爽快でした。

最西端到達証明書ロカ岬にある事務所(観光案内所?)では、シントラ市長によるユーラシア大陸最西端到達の証明書を発行してくれる。
もちろん有料だが、この料金もツアー内に含まれていたらしく、気づけばツアー客全員に配られていた。

我々びびぱんは、基本的にこういった旅先での有料の記念写 真等にはお金を出さないタイプだが、タダ(じゃないけど)でもらえるものはよろこんでもらうタイプでもある。
旅行のいい記念になりました。
大事にとっておこうと思います。

ところで、同じツアーにおひとりで参加していて、何かと我々の話し相手になってくれていたYさんという女性。
以前もロカ岬に来たことがあり、今回が2度目とのこと。
話を聞くと、前回はだんなさんとの2人旅で、その時は天気が悪かったために見学ができなくて、いつかもう一度来ようと2人で約束していたという。
しかしその約束はかなわないまま、だんなさんは何年か前に亡くなってしまったそうだ。
今回Yさんは、だんなさんとの思い出の地であるロカ岬から、だんなさんの遺骨を海にまくため、再びポルトガルの地を踏んだということだ。
今回は天気もよく、無事遺骨を大西洋にまくことができたみたい。

びびぱんのちょっといい話でした(笑)。
ちなみにこのYさん、海外旅行は30数回目の大ベテランです。
ヨーロッパだけじゃなくて、エジプトとかマチュピチュとか色んな所に行っていて、話を聞いていて楽しかったです。

「俺も死んだらここから骨まいてもらおうかな。」とぱんだに言うと、「いまここで突き落としてあげてもええけど。」……。

続いてはシントラ王宮へ。
ここシントラの景観もまた、世界遺産に登録されているのです。

王宮内部は写真撮影が禁止されていたのかどうか覚えていませんが、写 真が1枚もないので多分そうだったのでしょう。
豪奢な装飾の部屋がたくさんあったような気がします。

面白かったのは、王宮の厨房の煙突。
内部からも外部からも見ることが出来ましたが、2本、三角錐状の物がにょきっとそびえ立っておりました。
ぱんだ興味津々。

王宮の前の広場は多くの観光客でにぎわっており、また街には馬車や焼き栗屋さんなどが出ていて、まさに観光地という感じがしました。
日本でいうと奈良とかそんな感じかな。

焼き栗屋さんはどうやらポルトガル名物らしく、旅行出発前にいろいろポルトガル情報を調べていたところ、よくこの焼き栗屋さんの記述にぶち当たりました。
買い食いしたかったのですがそこはツアー客、食事が3食きちんと定期的に出るため、余分なものを買い食いする腹の余裕はびびんばもぱんだもありませんでした。
特にここシントラではおいしそうなパスティス・デ・ナタ(エッグタルト)も見つけてしまい、涙をのみました。

街を歩いていると、王宮からも見えた、なにやらアラビアンでちょっぴりメルヘンなちっちゃいお城のような建物が。
何だろうと思って近付いてみると、「シントラ市庁舎」と書いてありました。
奈良市庁舎が東大寺みたいなもんか。(ちがう?)

さて、昼食はそのシントラ市庁舎のとなりにある、レジオナル・デ・シントラというお店で。
小海老のカクテルに続いて出て来たのは、仔牛肉のステーキ マデイラソース。
そこそこ大きな肉が3枚も乗っとりました。
さすがポルトガル人の胃袋はちがうなあと思っていたところ、Iさんから衝撃的一言が。

「このステーキは日本人向けに特別に量を減らしてもらってます。」

なんですと!!
ポルトガル人はまだこれ以上食うのか!?
恐るべしポルトガル人。
そういう俺も、ぱんだから1枚半もらって計4枚半食ったけど。
今回、ステーキのお代わりはまわって来ませんでした。
柔らかくて美味しいお肉でした。
今度は一般のポルトガル人並みの量を食べてみたいもんです。


仔牛肉のステーキ マデイラソース

デザートは「ケイジャーダ」という、シントラ名物のチーズケーキ。
しかしチーズケーキというにはシナモンがきつすぎて、何か別のお菓子の様でした。
おいしかったけど甘かった…。何でポルトガルのお菓子はこうも甘いものばかりなのだろう。


ケイジャーダ(シントラ名物チーズケーキ)

さて、再びバスに乗り、山道を走る。
途中、山からカスカイスの街が見えた(今回の旅行では行きませんでした)。
次の行き先はケルース。

ケルース宮殿を見学。
18世紀、ペドロ3世が離宮として使っていた建物ということだ。
建物の中はヴェルサイユ宮殿のようでした(いや、行ったことないですけど)。
いくつもある部屋の中には中国の壷が並んである部屋もあったりもして面白かった。
それよりも庭!
離宮とはいえ、さすが宮殿。ひろーい!
噴水やら変な像やら幾何学模様に刈り込まれた低木やら、歩いていて楽しかったです。

(睡眠時間)

リスボンに戻りました。
バイロ・アルトにあるサン・ロケ教会を見学。
外から見るとそうでもないが、中にはいると金ピカでした。

いままでいろいろと教会やら修道院やらばかり見て来たが、どうも我々びびぱんは金ピカなところよりも石造りの地味〜なところのほうが好みみたい。
大航海時代でポルトガルの国が繁栄したのって、結局はアジアや南米などから略奪して来た富の上に成り立っているものだから、そんな時代以降の金ピカ趣味を見ると、なんとなくまがまがしいものを感じてしまうのかも知れません。

バイロ・アルトは高台になっており、リスボンの街が見渡せます。
絶好のビューポイントは、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台という非常に発音しにくい展望台から。
バイシャ(旧市街)からアルファマまでが一望できました。
うーん、気持ちいい!

展望台からふと右手を見ると、おお、リスボンと言えば必ず出てくる超有名な黄色のケーブルカーが!
もちろん乗りました。
バイロ・アルトからバイシャを結ぶ路線ですが、とても短くて、歩いてもすぐの距離でした。
これに乗るのはおそらく観光客だけでしょう(笑)。
前述したYさん、前回リスボンに来た時はスト中でケーブルカーが動いておらず、線路の横を歩いたそうです。
今回は乗ることが出来て、喜んでおられました。

リスボン最後の、そしてポルトガル最後(泣)の夜は、ちょっと遅い時間にファドを聴きに出かけました。
「ファド」という音楽の存在自体、びびぱんはポルトガル旅行が決まってから初めて知りましたが、日本の演歌みたいなものでしょうか…。
ラテンフレイヴァーを感じさせつつマイナー調で、ソウルフルかつ哀愁ただようブルージーな感じが、ポルトガルという国の雰囲気に合ってるのか合ってないのか判断に苦しむところですが…。

出かけた先は、"O Forcado"(オ・フォルカド)というカーサ・ド・ファド(ファド・レストラン)。
ガイドブックにも載ってるような、観光客向けばりばりのカーサ・ド・ファドでした。
料理はそこそこ。
しかし生のファドには圧倒されました。
音楽は何でもそうですが、やはり生で聴くのがいちばんです。


オ・フォルカド 店内の様子
ファディスタは全部で4人出て来ました

店に入る時に入口で話しかけて来た、コインブラの学生の黒マントを着たおっちゃん。
このひともファディスタでした(写真左下)。
ファドにはリスボン・ファドとコインブラ・ファドの2種類があるらしく、このおっちゃんはコインブラ・ファドとのことでした。
残りの女性ファディスタ3人がリスボン・ファドということでしょう。

ファディスタが歌った後、自分のCDを手売りしにまわって来ました。
その姿はスナックに営業に来た演歌歌手の様。
やはりファドはポルトガルの演歌か…。
そのCD、値段が高かったのと、こういうものには基本的にお金を払わないびびぱんなので、買いませんでした。

その後、食事中に店の人がテーブルをまわって写真を撮っていたものも売りに来ました。
これも買うつもりはなかったのですが、サンプルとして各テーブルに置いて行ったものが1枚回収し忘れたみたいで、うちのテーブルに置きっぱなしになっていました。

ありがたく頂戴しておきました(ネコババ?)。

 

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ユーラシア大陸最西端、ロカ岬

落ちたら助からなさそうな断崖絶壁


ここに地果て、海始まる
(ルイス・デ・カモンエス)

シントラ王宮

王宮からそびえ立つ厨房の煙突

ポルトガル鳩

シントラの景観(世界遺産)


ポルトガル名物、焼き栗の屋台

メルヘンなシントラ市庁舎

ケルース宮殿

大航海時代の中国との国交の証

スフィンクス?何だろう…

リスボンの風景
サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台から

リスボン名物、ケーブルカー(グロリア線)

カーサ・ド・ファド「オ・フォルカド」